ま え が き
大庭健さんは、2017年3月、39年間勤めた専修大学を定年退職されました。退職記念講演(2017年2月26日)でもその一部を語っておられた、大庭倫理学の決定稿ともいうべき『人‐間探求としての倫理学』の執筆は、そうとうの年月をかけて構想され、書き進めら
れていたものです。
退職後もたゆみなく作業を進められ、昨年になり病気が進行してきても、病牀でなお書き続けられてきたものですが、ついに、2018年10月12日の逝去で、中断のやむなきにいたりました。
葬儀の直後から、残された遺稿をどうするか、川本隆史さん、大川正彦さんらと、ご遺族、勁草書房、大庭ゼミの皆さんともご相談してきました。が、やはり、この遺稿が未完成であるということ(第11章・第12章は未定稿で、第13章および終章は構想メモのみ)から、(本人でもそう判断されるであろうとの推測もふまえ)出版物として公刊することは断念することにしました。
しかし、およそ10年にわたり、とりわけ死を意識されながら、まさにいのちを削って執筆されてきたそのすべてを無に帰することはしのびなく、完成度の高い第Ⅲ部までを中心に、全体に補遺・修訂を加えたうえで、冊子印刷して関係者および希望者にお届けしようということになりました。
遺された原稿については、公刊を目指していた段階で、すでに勁草書房の土井美智子さんが校閲くださったものがあり、それをベースに、川本さんが中心となって、大川さんや私、大庭ゼミの皆さんの意見を集約していちおうの確定稿にいたしました。また合わせて、この際、可能な限り網羅的な故人の「作品リスト」を作り、付すことにし、さらに、大庭さんが退職記念誌に寄せたエッセイ、日本キリスト教会柏木教会の葬儀での弔辞(川本隆史・内藤宏樹)、『ニュース専修』での追悼文(金子洋之)も再録することとしました。
大庭さんのこのご著書への思い、あるいは遺言ともいうべき言葉があります。亡くなる三週間前にお見舞いに行ったときに、途切れがちな意識の合間で、ほんの数分、語られたものです。葬儀でも口頭で紹介したものですが、あらためて、記して(それがこの「まえがき」の場でいいのか迷いましたが)残しておきたいと思います。
「自分の倫理学へのこれまでの取り組み方は、善悪二元論、善と悪を二元的な対立項と見なす発想に依拠していたこともあり、分析のツールは洗練されても話はより細かくなるだけで何か大元のところからそれてきてしまったのかもしれない、特に悪というものの独自性を捉える視点がうまく摑まえきれなかったように思う」
(――と言われたあとで、悪との繋がりで、世界の痛み、自己の苦しみというお話をされ、そこからの以下への繋がりがよく聞き取れなかったのですが、「赦し」という言い方をされ、こう言われました。)
「赦されてあることへの祈り、ないし願いのようなものに対する眼差し、もしくは考察が足りなかったかもしれない」
「大庭健さんを偲ぶ会」実行委員会を代表して
2019年7月
竹内整一
付記●遺稿のファイル構成、修訂過程、タイトルの改変について
目次が示すように、大庭さんの遺稿は「はじめに」および本論(四部構成の全13章と「終章」)から成っている。パソコンに遺された元の原稿は、四つのファイルに分けられており、順に「人間-倫理学(決定稿v4)序1234-1」、「人間-倫理学(決定稿v6)567-1」、「人間-倫理学(決定稿v8)8910-1」、「人間-倫理学(決定稿v1)111213-1」という略称が付されていた。各ファイルのプロパティの情報によると、作成日時は四本とも2008年8月22日(11時12分)であり、最終更新日時はそれぞれ2018年8月11日(15時35分)、2018年8月6日(10時37分)、2018年8月15日(22時31分)、2018年9月3日(21時57分)となっている。したがって上記のデータから、遺稿は2008年8月に書き始められ、逝去の1ヶ月前まで取り組まれていたことが判明する。
また「決定稿」の後に記されたv4、v6、v8、v1の記号が、それぞれ「第4稿」、「第6稿」、「第8稿」、「第1稿」を指すものと解すれば、著者が最も推敲の労を重ねたのが「第8稿」となる第Ⅲ部(悪の現象学)だと推定される。続く第Ⅳ部(不偏性と集団的利己主義)のみが「第1稿」の段階にあって、第Ⅲ部までとは完成度も分量も異にする。読者にあっては、この違いを念頭において、第10章までと第11章以下とを読み分けていただきたい。
本文の修訂については、勁草書房の土井美智子さんが表記の統一やセクション見出しの補充などの基礎作業を入念に済ませてくださった。その修正ファイルを頂戴した私が、本文に組み込まれていた注記を当該段落のすぐ下に移し、書名や説明不足を補うなどの処理を施した。この再修正ファイルを大川正彦さんや大庭ゼミ有志の方がたに校閲していただいたものを、冊子印刷の入稿ファイルに仕上げたのである。
タイトルに関する断りを記す――元のファイル冒頭に『人間 [探求として] の倫理学』という総題が掲げられていたのを、竹内整一さんらと協議のうえ『人‐間探求としての倫理学』に改めた。本冊子に再録した当人のエッセイ「時が経つことと、悔いること」(2017年8月)に、「退職したらやりたいと思っていたこと」のひとつが「和辻をパクって言えば、“人–間の学としての倫理学”の平成版を書きあげること」だとある。その意を汲んだつもりの手直しであるゆえ、この措置を故人が受け容れてくれるだろうと信じたい。
(川本隆史)